どうみても異世界な作品があったとする。ごく一部の例外を除いて、その世界の描写や登場人物のセリフはふつうは英語とか日本語とかで記述される。
以下、作品は小説でも漫画でもアニメでもたぶんいいと思うが、中間を取って漫画くらいに思っておくといいかもしれない。
日本語話者をメインターゲットとした作品なら基本的には日本語で描写されるだろう。しかし、もちろん異世界なので、お店の看板に本当に日本語で「冒険者ギルド」と書いてあったり、「へい、マスター」と言ったり、「今日の依頼は?」とか言ったりはしていない。何らかの現地語があって、それを作者が超能力で日本語へと翻訳している、ようなものだろう。現地語があっても全て現地語で書いてしまうと(たとえ地の文は日本語にしてセリフだけを現地語にしても)、煩雑だし、そもそも読者に創作の言語を強要するのはあまりに敷居が高すぎる。ここまでは、普通は陽にこのルールが書かれていないけれど「お約束」であって、特に問題はない。
問題はここに日本語以外の言語が登場したときだ。これにはいくつかのパターンがあると思う。
まず、現地語のカタカナ表記の場合は特に問題はないと感じる。なるほど現地ではこういう音の単語で、日本語でいうとこのような意味なんだな、という説明もふつうはある。現地の人名や地名などのカタカナ表記も、特に問題はないだろう。
一方で、自分が気になるのは、非日本語だが地球にある言語が出てきた場合だ。要するに英語であることが多い。これはさらに数パタンに分けられるように思う。まず、外来語のようにも見えるが日本語として使われないこともないような単語の場合は、まぁ、日本語ということでいいだろう。「ファイヤーボール」とか「ヒール」とか、もうこういうのは、英語というわけでもなく、日本語だと思っていいだろう。ただしこれらが敢えてアルファベットで fireball! とか heal! と書かれていると…違和感が出てくる。
しかし、作者が本当に何かを意図している場合ということがありえる。要するに、「作中の世界においても、その国で一般的な言語ではないことを示したい場合」だ。これはこれでよい。このケースであれば、アルファベット表記に我々読者が違和感を感じるのはむしろ作者の意図通りということにもなりえる。
もう一つ、これが困るわけだが、作者が特に何も考えておらず、「なんとなく英語を使っちゃった」場合もあるのではないかと思う。「異世界なので現地語を話しているのだがそれを作者が日本語に翻訳している」ということを作者が明確に意識していない、ということだ。ただ、話はたぶん単純ではなく、そうであっても無意識には「外国語感・外来語感」を出したかったのだ、ということもありそうだ。
最悪なパタンとしては、出典をすぐ出せない(忘れた)が、「英語のアルファベットについて、登場人物が言及してしまう(たとえばアナグラムとか)」というやつがある。これも、好意的に解釈すれば、等価あるいは近い内容の現象を作者が(なぜか英語に)翻訳しているのだ、というふうにもとれるかもしれないが、苦しいと思う。
そういうわけで、自分という読者・視聴者は、異世界を描いた作品においてメインの記述言語(日本語)以外の言語が出てくると、これらのうちのどれだと思えばよいのかがわからないことが多くて、結局、メインストーリへの没入が削がれて、違和感を覚えたり、不機嫌になったりすることが多い…ということを言いたかった。「そんなの、作者が深く考えてないだけのことが多いだろう」というツッコミはありえて、確かにそうだろうなとも思うのだが…ただ、「異世界と思ったけど実は未来の地球でした」パタンは自分はけっこう好きなので、実はそういった設定の伏線なのではないか、とか考えるのも好きなわけですよ。それなのに結局単なる「なんも考えてないだけ」だとがっかりというか…まぁでもそれがほとんどなのだろうけど、だとしたらそれも結局ロークオリティということでがっかりなわけで…
ついでにいうと、本筋ではないが、こういうときに英語の文法やスペルあるいはパンクチュエーションが間違っていると、余計にイライラする。単なるミスなのか(おそらくこれが多いのだろうが)、それとも、そこにも実は意味(意図)があるのか、がわからない。